組合員活動報告
「子どもの権利」ってどう考えたらいいの? ~おとなも子どもものびのび生きていくために必要なこと~
2024.8.12
□開催日:2024.8.12(月)
□主催:ビジョン未来
□会場:ウィズ明石701
「子どもの権利」を手がかりにしつつ、今、わたしたちが置かれている社会や経済構造のありようを問い直し、無意識のうちに取り込んでしまっている価値観を揺さぶられるような刺激的な内容だった。
なぜ、おとなも子どもものびのび生きられなくなっているのか。 日本人はなぜ、すぐに「しょうがない」と言ってしまうのか。
人口減少が進む日本で、教育界はまだイケイケの政策(グローバル人材、開発、成長)だが実態とは乖離している。成長の限界はすでに1970年代から指摘されていたのに、見ないふりをしてここまで来たせいで起きているのが気候変動であり、子どもの自死の増加。1990年代から流行った「心のケア」は、問題を個人化(自分のせい)にさせ、人々を排除する側は問われず、ケアの問題にすり替えられていることに気づく必要がある。例えば、若者が介護せざるを得ない社会のしくみの大元を問題にせず、ヤングケアラーを「支援」しても問題の根本解決にはつながらない。
資本主義が強欲化した新自由主義は、人々に「選択」させ、選んだあなたの責任(自己責任)だというが、その構造こそを疑わないといけない。「しょうがない」はその構造を支えてしまう考え方。
コロナ禍で、教育の「個人化」は急激に進み、タブレット導入などのデジタル化は「経済格差は、個人の学びの結果」という考え方のもと進められている。講師が理事を務める和歌山のきのくに子どもの村学園では、プリントを配ると子どもたちがみんなで相談しながらやるのだという。社会に出れば、他人と関わりながら仕事も問題解決もしていくことになるのに、今の学校教育は「個人で頑張れ」という競争社会。子どもの権利条約にある「子どもの最善の利益」は、日本では政治的に利用され、生産力のある人になるための学力保障といった形に歪められている。
社会全体が「学校化」し、わたしたちが連帯することを潰している。子どもの問題は実は経済の問題と直結している。開発、成長、自己努力を押し付ける既存の価値観、常識と思わされてきたことを疑う力をつけ、それを支えないことが大事。
以上のようなお話に、参加者からは「周りに合わせてばかりいた気がするが、どうやってやめていけばよいか」「頑張るモードの解体という考え方は面白い。開発主義拒否を理解しあうようなお喋りをどうやってやっていけばいいか」といった質問が出された。